学校や職場でのつまずきにより、自分の置かれている環境になじめなくなってしまい、引きこもりになってしまう。厚生労働省は、「通学や仕事をせず、他人と関わる外出をせずに6か月以上、家にいる人」を引きこもりと定義しており、ニートと呼ばれる「15~34歳の、仕事や学校に行かない若者」とは区別して考えられています。

引きこもりは、自分の意思で行かないのではなく、行こうとしても「行けない」のです。


引きこもりになりやすい人とは?内向的な人が評価されにくい社会

評価される人材の基準

現在の社会において求められているものは、「明るく社交的であること」「コミュニケーション能力が高いこと」「何事でも挑戦しタフであること」です。就職活動の面接においても、このようなパワー型の人を積極的に採用し、「穏やかで優しい」「誠実でコツコツ真面目」「じっくりものを考えて発言する」という部分が評価されることはほとんどありません。

内向的な人に対する評価

何とか無事に採用されることがあっても、なかなか認められることは少なく、むしろバイタリティーのある人と比較されたり、反論できないのをいいことに、ストレス発散の標的になってしまうことさえあります。そのような状況から、自分のふがいなさを責め、失敗を恐れ、弱い自分に自己嫌悪してしまい、体調を崩してしまい、引きこもってしまいます。

引きこもってしまう人に共通しているのは、内向的なことと、自己評価が低く、自己肯定ができない、という点です。

もしかして、「非常に敏感な人」?他人の感情、雰囲気を感じとってしまう「気質」

「引きこもり」になるまで追い込まれてしまう

しかし、誰にでも学校や社会でトラブルがあったり、人間関係に悩んだりすることがあるのに、引きこもってしまわなければならないところまで追い込まれてしまったのはなぜなのでしょう…

人よりも、ストレスに対して過剰に反応してしまう。人がそこまで深く思い悩まないことにまで、考えひきずってしまう。人が考えこまないところまで自分の行動を反省し、自分自身を追い込んでしまう。

いわゆる「デリケートな人=HSP」ではないでしょうか?

HSP(HighlySensitivePerson)とは?

HSPとは、HighlySensitivePerson、つまり「非常に敏感な人」ということです。これは病気でもなく、持って生まれた「気質」というものです。

人は、目でみたものを頭で判断し、判断した結果が感情となって、その人を動かす動力になります。ただ、この非常に敏感な人はあらゆるセンサーが敏感で、目で見たものだけではなく、雰囲気や気配、空気などを含めて感じ取り、頭で判断します。

さらに、判断結果が一つではなく、いろいろなパターンを分析してしまいます。直線の延長上のゴール地点まで一直線に向かうのではなく、そこに向かうまでに、何通りもの道順を無意識のうちに考え出してしまい、人より何倍も疲れてしまうのです。

感情の動きを吸収

また、センサーの反応により、人の感情を感じ取ってしまい、学校や職場内の感情の動きを吸収してしまいます。

現在の社会において、人の感情の動きは様々で、またそのことに対してのストレスも多く、マイナスの雰囲気が漂いがちです。人が叱咤されている場面、そのストレスに対しての反論のような愚痴など、無意識の中にある悪意の雰囲気までも感じ取り、吸収してしまうのであれば、さらに大きなダメージをくらうことになり、やがて対外的なコミュニケーションへの不安、恐怖から、外へ出られなくなってしまうのです。

「休息時間」。必要なのは、外部からの情報を減らすこと

センサーが敏感すぎて…

人一倍敏感にセンサーが反応し、人一倍思考が作動し、人一倍選択肢をはじき出すコンピュータと考えると、動力が同じならば、消耗が激しくなり、壊れやすくなってしまうのと同じようなものです。

では、このような非常に敏感な人たちに必要なものは何なのでしょうか?

外からの情報に敏感に反応しすぎて、情報を仕入れる機会を減らすことで外部の刺激から逃れる、それが「引きこもり」の状態なのです。

ならば、情報過多である現状において、少しでも情報から離れ、リラックスして体を休めることが必要なのであり、それは「引きこもり」ではなく、いわば「休息時間」でしょう。

ただ、現在社会では、このような「休息時間」をとること=弱い、甘いなどレッテルを張り、敏感な人達たちはさらに自分自身を責め、追い込んでいき、「休息」できないまま「引きこもり」を続けてしまうのです。

周りの人たちができること・・・「引きこもり」ではなく「休息時間」という認識

「引きこもり」という概念の改善

それは、まず周りの人たちが「引きこもり」という概念を捨て、「休息時間」である、と認識することです。

HSPの人たちは、非常に敏感なセンサーを持っています。なので、周りの人たちの「引きこもり」に対する良くないイメージさえ感じとってしまいます。無意識のうちに「引きこもり」は良くないことである、と考えて、どうにかして改善しなければ、と思ってしまってはいないでしょうか?

まずは周りの人たちの、「引きこもり」ではなく「休息時間」なんだ、ゆっくり休ませてあげよう、という意識の改善が必要です。そのように周りが認識することで、敏感な人にはその空気が伝わり、安心して「休息時間」でリフレッシュすることができるのです。

本当に必要なのかどうか?その人その人に合った生き方を!

じっくりと「休息時間」をとり、自分自身を取り戻すことができたのなら、次に考えていくことは、今後どうしていくか?ということです。

社会生活への復帰

少しずつ自己肯定ができるようになれば、再び社会の中で情報をゆっくり取り入れていこう、と考えるかもしれません。元々、まじめで誠実であるからこそ、情報の多い社会の中で頑張り、克服しようとしてきたのですから。アルバイトからでもかまいません。フリースクールに通ってもかまいません。

そうして、疲れたときにはできる限り「休息」をとり、本人のできる範囲のペースでゆっくりと、確実に進んでいければいいのです。

センサーが全開してしまっている敏感すぎる人は…

ただ、敏感な人たちの中でも度合があり、センサーが全開しすぎて、自分の意思ではどうしようもなく情報が飛び込んできてしまう人もいます。そのような人たちには、さらなる「休息時間」が必要になってきます。

しかし、本当にこのようなセンサーが全開しすぎて敏感すぎる人たちには、外に出ることが必要なのでしょうか?

この時代、インターネットというものがあり、同じような環境の人たちと交流することができます。インターネットの中でのつながりが、すべて希薄なものであるわけでもなく、用心すべきものでもありません。むしろ、センサーを全開にして敏感に感じ取る人であれば、危機管理も人一倍敏感に行えるでしょう。

ならば、「休息時間」の間に自分のしたいことを見つけ出し、その中で自分ができることを発見し、それを将来いかしていくことができれば、インターネットを通じて社会の一員として生きていくこともできるのです。

最後に・・・誰もが心豊かに自分のペースで生きていくことができる社会

ひとの数だけ、いろいろな生き方、考え方があります。そのことを認識せずに、多数決の意見を押し付けたり強制したりしてはいないでしょうか?「引きこもり」に対して、偏見を持ってはいないでしょうか?

「引きこもり」ではなく「休息時間」という考え方、社会との方向性とは違っていても、その人の個性としてのライフスタイルを認めていくことこそが、ストレスのない社会に結びついていき、誰もが心豊かに自分のペースで生きていくことができる社会となっていくのです。

みなさんも、自分とは違う人たちの存在を受け入れていくところから、始めてみてはいかがでしょうか?